どーもです。AJです٩( 'ω' )و
4月27日〜5月5日にかけて車中泊で東北地方をぐるっと一周してきた話の第6話です。
最終話はどうしても自分の目で見たかった岩手、宮城、福島3県の震災伝承施設など津波被害にあった被災地を見学してきた事を書き綴ります。
どういう文章にすれば自分が感じたことを伝えられるか非常に悩みに悩みましたが、いつまでもまとめることができず時間だけが過ぎていくので、とりあえず上げるという形になってしまいました。
至らぬ点がありましたらご指摘いただけますようよろしくお願い申し上げます。
各県の観光の記事はこちら↓
GW2019 東北一周旅行① 山形編 - Life With BlackLab
GW2019 東北一周旅行② 秋田編 - Life With BlackLab
GW2019 東北一周旅行③ 青森編 - Life With BlackLab
GW2019 東北一周旅行④ 岩手編 - Life With BlackLab
GW2019 東北一周旅行⑤ 宮城 福島編 - Life With BlackLab
震災伝承施設とは
主に第三分類に該当する施設をまわってきました。
5月3日
先ずは岩手県宮古市田老の『津波遺構たろう観光ホテル』から
17メートルを超えたとも言われる津波の被害を受け、4階まで浸水、2階部分まで柱を残して流失するも倒壊することなく留まったこの建物
震災の記憶を陳腐化させることなく、後世に伝えるための「震災遺構」としてありのままの姿を残しています。
防災ガイド「学ぶ防災」に申し込めば施設内部の見学や、このホテルで撮影された津波映像も視聴できるみたいです。
自然災害の恐ろしさと防災意識の向上を来訪者に伝えています。
岩手県大船渡市三陸町越喜来の『越喜来(おきらい)ラブラブハウス』
再建を進める同町の建設会社が震災後、瓦礫で作り上げた子供達の遊び場「潮目」を造ったのがきっかけで、越喜来をアートな町にしたいという熱い思いが着実に形になっています
こちらタレントのSHELLYさんも協力して建てられたコテージ。
泊まることも可能です。
当時の津波写真や瓦礫から拾い集めた時計などが展示されてます。
右の建物がネットに載ってた画像より良くなってるみたいで、頻繁に手直しされてるようです。
大船渡市大船渡町で震災から1か月余りで営業を再開し、千葉県の画家さんらの手によりカラフルに生まれ変わり国内外から訪れた人達の憩いの場として、多くの絆を紡いできた美容室の仮設店舗を解体・移転させ今は地元の人達が集うコミュニティーのような場になっています。
ラブラブハウスの写真を撮ってる時に声をかけてくれた地元の人が強くおすすめしてくれた『ド根性ポプラ広場』
津波の被害に遭いながらも倒れずに耐え抜いたことからそう名付けられたポプラの木を中心に据えた去年に完成したばかりの広場。
さらにその広場から見上げた場所に、とんでもないパワースポットがあるからぜひ寄っていってほしいといわれたので神社の階段をのぼります。
神社の境内に鎮座してたのは『三陸大王杉』と呼ばれる樹齢7000年!?(環境庁の調査によると樹齢1500年と推定された)の巨木
根回り13.75mということは身長170㎝ほどの大人8人分でしょうか。とにかくでかいです。すぐそこに樹齢1000年と言われる杉もありますが明らかにレベルが違います。
樹齢7000年の方を信じたくなるほどの威厳がありました。
もちろん岩手県最大の杉です。
こうして古の時代からここでいろんな出来事をみまもってきたんでしょうね。
平成2年に地元の人達で資金を出し合い蘇生治療を施したみたいですが、ここ近年で衰えが目立ってきているようです。
せめてこの町の復興がすむまではポプラの木とともに見守っててほしい
もう一度一緒に乗り越えてほしい
この町の人達はあなたたちを心の拠り所にしてるはずだから
5月4日
岩手県陸前高田市の『奇跡の一本松』
約7万本あった松原は津波により全てなぎ倒せれたなか、残ったたった1本の松
奇跡の一本松はこの建物のおかげで残ったとも言われる
『陸前高田ユースホステル』もまだ水没したままのこってます。
復興のシンボルとして親しまれてきた一本松。
海水に浸かったダメージによって震災から1年後に枯死してしまいましたがモニュメントとして立ち続けています。
1995年に起こった阪神大震災
当時高校生だった自分は震災直後、ボランティア活動に参加させてもらって大惨事を目の当たりにしました。今でもあの光景をしっかりと覚えています。
そして京都の専門学生となった数年後にふたたび神戸に遊びに行ったとき、
そこにはまるで震災がなかったかのような、煌びやかに繁栄を遂げた街並みに驚きを隠せませんでした。
どれだけ大打撃をうけても数年で復興する
そんな考えは今回の旅でとんでもなく甘っちょろいことと思い知らされました。
そこに広がるのは、かさ上げされた更地ばかりです。
町や村じゃないんです。ここは市です。
来るときに通った釜石市もほとんど同じ光景でした。
海に面した地域はどこもこのような光景なんです。
復興という言葉にはほど遠い...
新しい立派な道路は通れどそこに人が戻ってこない
そんな印象しか持てませんでした。
一本松へ向かうための駐車場にもなってる『陸前高田物産センター』の一角で写真展と語り部を見学させてもらいました。
福井県にも気比の松原で有名な敦賀市という街がありますが、ここと被って見えてしまって
似たような街が津波到達からたったの4分で壊滅してしまったと知った時
とんでもない喪失感におおわれ涙がこぼれました。
決して他人ごとではない
「私たちはこうして今日まで乗り越えてきている」という実体験を生で聞けるという貴重な体験ができました。
津波の避難施設としても建てられた『道の駅 高田松原』も上部をわずかに残して水没
市内で一番早く津波が到達したエリアにある『気仙中学校』
校舎の屋上の上に津波到達水位が
こことは違う場所ですが、5階の床上まで津波が到達した市営住宅もありました。
ここなら安心と思わず限りなく高台の方へと避難することが生き残る術であることを肝に銘じなければいけません。
3県の市町村別では2番目に多い犠牲者が出てしまった陸前高田市ですがこれらの建物内では一人の犠牲者も出ていないという事実があります。
とにかくできる限り海から離れた高台へです。
宮城県に移動して仙台市若林区の『荒浜小学校』へ
2016年で仙台市立七郷小学校と統合という形で小学校としての役目を終えました。
1階は津波で流れ込んできた瓦礫で埋め尽くされ、2階まで浸水。ロッカーにしっかり跡が残っていました。
教室の黒板に残されたメッセージ
メッセージを見ながら、当時のことをしゃべってました。
聞き耳を立ててましたが、途中からちょっと...このまま聞いているのが悪い気がしてこの場を去りました。
常時内部公開をしてくれていますし、最上階の展示物やパネル、映像などで当時の状況を教えてくれるので被災しなかった自分達には非常にためになる施設となってます。
最後に常磐自動車道を通って福島県に入り、2017年3月31日に避難指示が解除された浪江町諸戸へ
常磐自動車道からですと居住することができない帰還困難区域を通って向かうことになります。
住居の入り口、抜け道のような細道にもゲートが設置され、指定された道以外はどこにも行けない状態になってました。
家はあるのに人がいない
自分の住んでいる所はかなりの田舎で小さな部落です。とても静かで鳥は見るけど人は見ないことなんてざらですが、そういうひとけのなさとは違う感覚でした。
町全体が寂しさでつつまれている
それは不気味ともいえるはじめて感じた感覚
福島県双葉郡浪江町 『諸戸小学校』
印象的な構造物が目を引きます。
2019年3月15日、福島県では初となる震災遺構として保存する準備を来年度から始めることが決まりました。
今はまだ立ち入り禁止となってます。
津波で流された備品が積み上げられたままでした。
浪江町は原子力発電所の建設予定がありましたが70年代からずっと反対し続けていて原発は建っていないのに津波以外にも甚大な被害を被りました。
事故当時は2万1500人いた人口も今はまだ1000人程度しか戻っておらず、帰還しないと決めている避難中の町民は約50%も占めるそうです。
きっと福井も被害に遭うと同じ状況になるとしか思えない。
復興庁によると、災害公営住宅、支援金を支給されての再建住宅、高台移転による宅地造成は2019年3月にほぼ終了(完成した)。
被災3県(岩手、宮城、福島)の製造品出荷額が震災前の水準まで回復。津波被災農地89%が営農再開可能となり、業務再開した水産加工施設が96%となるという発表がありました。
国は復興に向けて順調に進んでいることをアピールしていますが、
写真を見てあなたはそう思いますか?
いまもプレハブの仮設住宅での生活を余儀なくされている人は5000人もいます。
営農再開可能と言われても、見える景色はかさ上げされた茶色の土のみで緑に色づいた田畑は見えません。
水産加工施設が再開してたとしても、人で賑わってる港も見ませんでした。
ゴールデンウィークだから?
自分は違うと思います。地方は都会のようにはいかない
最近は南海トラフ巨大地震や都市直下型地震などがいつ起きてもおかしくないととりあげられたりしますが
自分の住んでいる地域には関係ない
これは全くあてはまりません
2016年の熊本地震は起こると思っていなかった地域で現に起きました。というか
ここ最近に起きた地震は全て比較的安全とされた地域ばかりです。
明日は我が身に降りかかるかもしれない
という危機感を常に頭の片隅に置いて、災害が起きても被害を最小限にとどめられるよう適切な行動がとれる準備をしておくことが大事です。